写真について

今、僕の手もとに50ミリレンズのついた古いライカが一台ある。 僕はこのカメラを手にするといつでも、モノクロフィルムを詰めて旅に出かけたくなる。 この「古いライカと50ミリレンズ」というシンプルな撮影機材は、世界を切り取るための理想的なかたちと言えるのではないだろうか・・・。

 

このページでは身の回りのカメラや写真集の紹介を通して写真とカメラについて少しずつ考えていきたいと思います。

Garry Winograndのカメラについて

Josef SudekのPanoram Kodak

brassaiのベルクハイル(bergheil)

2016年

11月

07日

鬱の時でも見れる写真集 既に完成されたFrankの写真文法 Robert FrankのValencia 1952

Frank先生の写真とは何の関係もないうちの近所の写真です。
Frank先生の写真とは何の関係もないうちの近所の写真です。

体調は良くなったり、また戻ったりを繰り返す。医者には今が大切だ、今頑張りすぎるとまた鬱に戻ったり、いきなりギンギンになってしまったりすると言われている。まあ、どん底は過ぎたということだろうからそれは救いだ。

 

もう何ヶ月も写真集を手に取っていなかった。入院中は尾仲浩二さんの写真集と日比野克彦の作品集を枕元において、それしか見るものがないから熱心に見ていた。尾仲浩二さんの写真はどんな気分の時でも心にしみてきていい。今回は躁状態で入院したが、8年前に鬱状態で入院した時も枕元には尾仲浩二のGrasshopperを置いてあった。

 

尾仲浩二の写真については後日書くとして、今夜はRobert Frank。

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2014年

11月

13日

霧のかかった透明感。Let's Get Lostを聴きながら思うこと

チェットベーカーについて何度かこのブログでも書いて来たが、特定のアルバムに関しては特に書いていないと思う。

Let's Get Lostは全部通してみたことはないが、はじめの30分ぐらいはYouTubeで見ることができるので、見たことがある。あの有名なブルースウェバーの回想から始まる。


初めて彼に会ったのは 遠い昔ニューヨークでのことだ。冬の大雪の日だった。

僕はティファニーの前の交差点を渡っていた。

彼はシボレーのコンバーチブルで、赤信号で止まった。

雪が彼に降り積もっていた。 髪までびっしょり。

カーラジオから ズート・シムズを聴いていて 雪に気付かなかった。

それがジャズさ。


チェットがコンバーチブルの後部座席に座っているカットに切り替わる。

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2014年

5月

15日

遠くで汽笛を聞きながら

5月のはじめに新潟へ行った。新潟で学校の先輩が写真展を開くとのことで、それを見に行った。同時期に音楽祭も開催されるというので、それを聴きがてら、一泊二日の一人旅をした。

カメラはプラウベルマキナ、30年代のアンチコマーがついているやつ。フィルムはトライエックスを念のため20本持って行った。フィルムを持って行って正解だった。新潟の街並は美しかった。一日目の午後に瞬く間に十数本を撮り終えた。東京で撮っている写真と並べてもわからないくらい自分の好きな風景が新潟にはあった。そのことを、今回の訪問まで知らなかった。

 

写真展を見て、その夜は新潟の酒を堪能した。堪能しすぎてしまった。時間が早く進んだ。

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2014年

4月

16日

或る女性のための小話

こういうと、やっぱり彼奴は同性愛者だったんだと言われてしまうかもしれないが、私は同性愛者ではない。バイセクシュアルである。


まあ、それはともかくとして、恋愛という器は砂型のように自由自在に見えて、実のところ金型のように異形を許容しない。だから、私たちは自分のわけのわからない感情のもつれを、どうにかして恋愛の型に押し付けようとして、しばしば痛みをおぼえる。


男には男同士にしか分かち合えない愛の形があると言えば簡単だが、それが愛という言葉で片付けられるものなのかそうでないのかは今でもよくわからない。ただ、私たちの場合それはアルバートアイラーだった。

彼と関係を持ったわけではないし(ケツほったりね)、彼は私の好きなタイプの人間では、いやこの場合は男では無かった。私には理解しがたい側面だらけの男だった。

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2013年

3月

21日

匿名の街としての東京.内堀晶夫「風町」

今日は午後体調が悪くなり、会社を早退し内科にかかった。

 

幸い何事も無く、胃薬をもらって帰ってきた。帰ると、アマゾンで買った内堀晶夫の「風町」が届いていた。ずっと欲しかった写真集である。この本はいつでも手に入るような気がして今まで買っていなかったが、内堀氏の写真が見たくなったので、この度購入した。

 

写真集が欲しくなる季節なのかもしれない。同時に3冊も写真集を購入した。内堀氏の写真集2冊と、尾仲浩二の写真集1冊だ。どれも、街の風景を撮影したスナップ写真である。

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2013年

3月

18日

人付き合いの希薄さを超えて、潮田文「風に吹かれて」

先週末は風邪を引いてしまい寝込んでいた。

 

寝込んではいたが、寝てばかりいても良いことは無いので、新宿御苑方面に散歩に行った。御苑方面に行ったのは目的があったからだ。南原四郎さんこと潮田文氏の写真集「風に吹かれて」を蒼穹舎まで買いにいったのだ。

 

潮田文氏の写真はご覧になったことが無くても、氏の文章に接したことがある方もいるかもしれない。月光という文芸誌の編集長を南原四郎という名で何年も続けてらっしゃるから、月光を読まれ氏のことをご存知の方もいらっしゃるだろう。

 

「風に吹かれて」は一風変わった写真集である。

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2012年

8月

29日

Saul Leiterは地味だけど写真は洗練されてる。

ブログを一ヶ月以上サボってしまった。

もう、二度と更新しないかと思われたかもしれませんが、私ももう二度と更新できないのではと思いました。誠にすみません。最近は楽器の練習を再開したのですが、そのため夜の時間の大半は楽器の練習に費やしているので、ブログまで手がまわらなかったのです。

 

もう一つ、このブログという誰に対して発信しているのかわからないメディアを使っていて、一種の寂しさ、孤独を感じており、何となくブログからはなれてしまったのです。

 

でも、今夜は写真の話題があるので、書きます。

お時間許せばお付き合いください。

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2012年

5月

02日

世の中にこういう写真を撮れる人がもっといればいいのに。Fred Herzog礼讃。

連休がやってきました。今夜は雨だけれど、明日は晴れると良いな。晴れたらバイクに乗れるのに。

 

世の中捨てたもんじゃありません。連休だからではありません。もちろん連休も嬉しいですが、もっと嬉しいことがありました。新しい写真集を買いました。Fred Herzogの写真集です。

 

Fred Herzogなんて発音するのか知りませんが。とても素晴らしい写真家です。私はWinograndが好きで、特にWinogrand1964に掲載されているカラーの写真が最近気になっているのですが、あれからもっとクセをなくして、カッチリ撮った写真に出会えました。

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2012年

1月

05日

縦位置の天才Brassaiの新しい本が出てる。

今日日本橋の丸善に行って、洋書のコーナーを見た。

そしたらBrassaiの見たことの無い写真集が売られていた。Brassaiがアメリカを訪問したときに撮影した写真の写真集らしい。旅行写真、旅写真、異国の写真というのは、どうもそのエキゾチックなところが写真の味付けの大半を決めてしまって、どうも面白くないのだけれども、いくつかの例外もある。エキゾチックでも、それを上回る程素晴らしい写真群、例えば、木村伊兵衛のパリとか、マーチンパーのスナップとか。

 

それで、ブラッサイの場合はどうなんだろうかと思って、ページをめくってみると、なかなか悪くない。

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2011年

8月

02日

フォトジェニックであることを恐れない。Christopher Thomas

今日私のもとにアマゾンから一冊の素晴らしい写真集が届いたので、紹介したい。実際の写真のプリントは見たことは無いけれど、写真集の印刷のクオリティーも高く、とてもお買い得な写真集であることは間違いない。

 

その前に近況を少々。

 

最近転職したのだけれど、今は試用期間ということもありなんだかとても落ち着かない。試用期間でクビになってしまったらどうしよう。せっかく夢にまで見るような会社に就職できたのに。だからクビになんないように頑張っているのですが、このところあんまり体力もないので、無理をしないように心がけないといけません。その辺のさじ加減が大変です。でも、世の中の同世代の方々は皆さんバリバリ働いているのだから私も頑張らなきゃ。

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2011年

7月

26日

廃墟の写真ブームがあったことについては、

今日は新しい仕事の初日だった。とっても緊張した。

今まで勤めていた会社ともまた違った雰囲気、自分の席がブースになっていること、に少々戸惑いながらも順応すべく一日を過ごしました。

今日は,上司もいなかったので、一日中商品カタログを見て商品カタログをおぼえておりました。それでも全然おぼえられなくて、今日は3分の一位しか覚えられなかった。やっぱり歳とったな。

 

帰ってからもネットで商品カタログを見て覚えようと努力しましたが、半分位で力つきてしまいました。うん、やっぱり歳とったな。

 

今夜は頭を切り替えて、久しぶりに写真についてです。

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2011年

6月

27日

Berenice Abbottのニューヨークと金村修の東京。

ベレニス・アボットの「Changing New York」の写真を初めて見たとき、どこかで見たような懐かしい印象を受けた。初めて見たとは書いたけれど、実際は、アボットの写真集を既に持っていたし、写真史の教科書には出てくるので、本当に初めて見たわけではないのかもしれないけれど、そのシリーズの写真群をみて、あらためてアボットの写真の面白さを発見した。

 

アボットの写真の持つ複雑さは、フリードランダーの写真に共通するところもあるけれど、フリードランダーよりも整理されていて秩序のようなものすら感じられる。

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2011年

5月

21日

ああ、クーデルカ。上野の雑踏を歩いて

今日は、午後に写真美術館へ行って、ジョセフ・クーデルカを見に行った。

 

クーデルカの写真は大好きで、『Exiles』の中の写真は、モノクロのスナップショットの世界を大きく拡げて、もはやおとぎ話の中の世界のような、いや、それともちょっと違うな、とにかく心に残る写真群だ。クーデルカの写真のあの独特の寂しさと、半透明のベールのようなものがのしかかっているような不明瞭さは、なんなんだろう。ちょっとロマンチックな感じもしないわけじゃないけれど(それは異邦人の目から見る世界のせいなのか)、世界がこういう風に見えるっていうことに対するポジティブな驚きに満ちている

 

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2011年

5月

15日

ガス欠で動転の後、森山大道を見る。

森山大道の写真はやっぱりカッコいい。

少々味付けが濃いところが気に触って、あんまり大好きにはなれないけれども、やっぱり写真の世界をリードし続ける写真家だけあって、写真に説得力がある。

 

森山大道の写真は、かっこ良くきまることを躊躇しない。ほれ見ろカッコいいだろ、どうだ参ったか、という感じがする。だから、私たちも、その完成度の高さに参ってしまうし、言葉が出なくなってしまう。森山大道さんがいまどう思って写真を発表し続けているのかわからないけれども、彼の写真の持つドラマチックさと、それを突き放すような視覚的ギミックは、ひとつの写真の作法として、写真の世界で通用している。

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2011年

5月

02日

レコードのジャケ写を撮っている写真家

今日は久しぶりの仕事だった。久しぶりって言っても三日ぶりだからたいしたことはないんだけれども、それでも、ずっと会社が休みだったかのような気持ちにさせられた。だいたいこんな飛び石連休の間の一日ぐらい休みにしてくれれば、もっと自由に時間を使えるのに、間に一日仕事を挟まれると、水をさされたような気がする。悔しい。

 

それで、まあ、明日から待ちに待った3連休がやってくるのだけれど、とりあえず明日から何するか、今は未だ考えている最中です。せっかくだからバイクに乗って、どこか写真を撮影に行こうかと思ってます。世間じゃ、震災の影響で、避難所で連休を過ごす人や、被災地にボランティアに行ったりする人もいる中で、一人だけ遊びに行くのも気が引けますが、人に気を遣っていたらこの世では生きていけません。短い人生、とりあえず自分の思うままに生きていきたい。

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2011年

4月

30日

報道写真家としてのJosef Koudelkaの偉業

Street Photographyについて語るとき、今日紹介する一人の天才写真家の存在を無視することはできない。彼の写真は、どこか幻想的で、詩的で、それがかつて本当に存在した風景であるということを疑いたくなる程である。

 

彼の代表作「Exiles」のプリントを一度近代美術館で見たことがあるけれど、誰がプリントしたか解らないそのプリントは、白と黒のコントラストによって出現した、空想の世界のように見えた。

 

スナップショットの天才、Josef Koudelkaである。

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2011年

4月

26日

イデオロギーを凌駕する視覚。土門拳とBruce Davidson

今日は、いや、今日も調子が上がらない一日だった。昨日は体調が悪くて会社を休んでしまったのだが、今日会社にいっても全然仕事が進まない。何から手をつけて良いかが解らない。とりあえず手を付けても、先に進まない。それで、結局一日何もできないまま終わってしまった。

 

とぼとぼと、家に帰ってくる途中、ふとブルースデビットソンの写真について思った。

 

最近今村昌平の『黒い雨』を見て、原爆のことを考えたとき、土門拳の写真を思い出した。土門拳の写真を語ることはとても難しい。

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2011年

4月

25日

1955年のロバートフランクが中古車に乗って行ったこと

ロードムービーって言うジャンルは、結構確立されていて、数々の名作があるようだけれど、私はあんまり見たことがない。見たことはないけれども、ロードムービーに漠然とした憧れって言うのか、ロードムービーと聞くと、なんだかウキウキする。

 

イージーライダーは、ロードムービーに含まれるのだろうけれど、あの映画は大好きで何度も見た。もう、何十回も見ているから、今更あの映画について何か書こうにも、おそらく何も書けない。あの映画について言葉で何かを伝えようとしても、2台のチョッパーが地平線までつづく道を並んで走るシーンの数々を語り尽くすことはできない。

 

あの映画の他に、見たことのあるロードムービーと言えば、ヴィム・ベンダースの何本かの作品くらいだろうか。

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2011年

4月

19日

Left them all behind. しつこいようだけど、Danny Lyonへのオマージュ

バイク乗る時の服どうするか考えなきゃ。

 

先週末はとても熱かったので、革ジャンを着るわけにもいかず、有り合わせのものを着て乗りましたが、私の妻から、バイクに乗る時はひじのプロテクターを着けるようにいわれてるので、プロテクターが目立たない服をなんか見つけないといけません。胸部のプロテクターとして、べストみたいのを買ったのですが、なかなかこの上から羽織れるものが無い、いっそのことべストの上には着ないで乗るっていうてもあるんだけど、そのときひじのプロテクターはどうしようか。

 

そんなことを考えていて、なんだかプロテクターで身を固めてバイクに乗るのって、バイク乗りらしくないとは思うのですが、やっぱり安全第一です。何事も命には替えられません。

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2011年

4月

12日

ロードムービーへの憧れと写真。ロバート・フランク、水谷幹治他

昨日はEasy Riderについて書きかけて、やめた。

私はEasy Riderのビデオを学生の頃見た時から、もう数えきれない程の回数を見ているのだが、あの映画は不思議と飽きることがない。

 

私が高校生だった頃、姉の部屋にEasy Riderのポスターが張ってあったけれど、Easy Riderの魅力はよくわからなかった。そもそも、しっかりあの映画を見たことすらなかった。何となく、バイクの映画で、最後に主人公がうたれて死ぬってことは知ってたけど、それ以上の映画だとは思っていなかった。

 

しかし、25歳ぐらいの時だろうか、Easy Riderのビデオを自分の部屋の小さなテレビで見た時から、この映画の魅力に取り憑かれてしまい今日まで至っている。できることなら、Easy Riderに類するバイクのロードムビーをジャームッシュとヴェンダースあたりに何本かとってもらいたい程だ。

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2011年

4月

06日

ダニー・ライアン(Danny Lyon)の続き。

昨日、ダニー・ライアンのはなし、中途半端になってしまって、その上紹介した「Bikeriders」の広告も載せなかったのですみませんでした。せっかく読んでもらって興味を持って頂けても、本を探せないんじゃないかと思い、後から反省しました。読んでくれた方すみません。

 

それで、今日は何の話すれば良いですかね。ダニー・ライアンの話の続きにしますか。

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2011年

4月

05日

ダニー・ライアンのように。バイクへの憧れ

ダニーライアン(Danny Lyon)のBikeridersという写真集をご覧になったことはあるだろうか。ずっと絶版になっていたのだけれど、5年程前に復刻版が出た。私はすかさず買った。その頃はあんまりバイクには興味がなかったが、スナップショットの天才Danny Lyonの写真集を見てみたかったから迷わず買った。だいたいよい本は買うか買うまいか躊躇していたらすぐなくなってしまう。だから欲しい本はすかさず買う。

 

それで、その写真集にはアメリカの暴走族「Chicago Outlaws」のスナップ写真が満載なのだけれど、この本の写真のアメリカの暴走族って、結構普通の若者で、きっと普通の格好してたらスーパーで遭っても暴走族だって気づかないかも。日本の暴走族の方が髪型とか個性的かも。

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2011年

2月

18日

腐ってしまったスピグラと、洒落者WeegeeのNaked City

腐って駄目になったスピグラ
腐って駄目になったスピグラ

昨日のブログでも書いたのだけれども、Weegeeについて書こうと思い立ち、長らく使わずに押し入れにしまってあったスピグラを取り出したら、カビみたいな腐食みたいな白いのに覆われて、ベタベタしていた。

とっても気持ち悪かった。もうスピグラなんて見たくないと思わせるのに充分な程ショッキングな姿だった。

 

明日ぞうきんでよくふいておこう。酢酸でもつけてふいたらきれいになるという噂もあるのでそれもやってみよう。できればカナダワシでこすって白く腐食したところをきれいにして、ピカールでピカピカにして、錆び止めでも吹いておこう。

 

昨今のカメラは電子機器だが、ちょっと前までカメラと言えば精密機器の代表格だった。

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2011年

2月

16日

Cartier-Bressonが垣間見た新世界。それぞれに整頓された混沌

ブレッソンへのオマージュ
ブレッソンへのオマージュ

久しぶりに写真の話をしようと思う。

 

写真の話をするのは体力がいる。写真はよく見れば見えて来る程とらえどころがなくなってしまう。コンセプチュアルな、わかりやすい写真は未だ書きやすいが、そんな写真について何を語っても面白くもない。

写真のコンセプトが言葉にできてしまったら、それはそれで悲しいことだとは思うけれど、言葉にしづらい写真を取り扱うのもなかなか大変なのだ。

 

それに、今日の話題はスナップの巨匠アンリ・カルティエ-ブレッソン(Henri Cartier-Bresson)。下手なこと書いたら、信者の方々に吊るし上げられてしまう。おそるおそる、且つ大胆に書けると良いのだが、

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2011年

2月

07日

Rainy days and Mondays always get me down. 窓に映る冷たく透明な憂鬱。 追悼Gary Moore

月曜日は苦手だ。

誰でもそうなのかもしれないが、いつからか月曜日が憂鬱になった。高校の頃は、特にそういうこともなかったと記憶しているので、学生時代からか、社会人になってからか、よく覚えてはいないが、月曜日は気が重い。

 

学生時代なんかは、学校に行けば好きな女の子とかに会えるかもしれないし、友人にも会えるかもしれなかったので、そういう意味では、学校に行くのが楽しみだったこともあったかと記憶している。いや、これは記憶違いかもしれない。学校に何人も好きな女の子はいたことは事実だが、その子達に会うのが楽しみで学校に行ったことなんて殆ど無かった。そもそも大学が嫌いで、好きな女の子達よりも嫌いだったから、大学には全然行かなかった。行かなかったから、好きな女の子達に会えることも殆ど無く、結局は思い過ごしのような片想いばかりの青春時代だった。

 

あの頃、少しでも学校に行っていたら、今頃どうなってただろう。今の嫁さんと結婚はしていただろうが、留年する年も一年ぐらい短くなっていたかもしれない。あの頃好きになった女の子達とも、

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2011年

1月

28日

愛すること、傷つくこと エルスケンのパリの写真

私は最近体調を崩しがちだったけれども、まあまあ元気にやっている方だし、自分なりに合格点の範疇だと思っている。

 

今日、私の伯母が亡くなってしまった。私が小さな頃からかわいがってもらい、夏休みには毎年のように泊まりに行っていたので、寂しくなった。伯母は癌を患っていたけれども、つい先日まで結構元気にしていたらしい。今年私のもとに届いた年賀状にも、身体に気をつけてって書かれていたので、自分が病を患いながらも人をいたわる気持ちを持ち続けてくれることが嬉しかった。伯母に比べたら私の患っている病はフェイタルなものではないし、もっとしゃきっとしなくてはならないと思った。

 

それで、今日、何について書こうか迷っていたのですが、最近自分の中のテーマである「愛すること、傷つくこと」。

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2011年

1月

27日

皮肉にも美しい、街は今戦場だよ、 Susan Meiselas讃!!

とてもメイゼラスには敵わない
とてもメイゼラスには敵わない

昨日、荒木経惟の写真を引き合いに出して、愛するって何なのか一緒に考えさせていただきましたが、ブログのタイトルがよくなかったのか、ブログのランキングサイトで「有害な内容のブログ」扱いされて掲載されませんでした。まったく、日本ブログ村もケツの穴が小さいよ。セックスって単語が駄目だったら、何にもまともなことは書けないじゃないの。伊藤比呂美さんの詩集なんて一冊かって読んでみなさいよ、そこいら中セックスばっかりだから。朝ご飯とかうんことかと同じで、セックスは人間の生活の一部なんだなって納得すっから。

 

なんだか、ブログのはじめっから文句たれてちゃ、だーれも読んでくんなくなっちゃうから、あんまり書かない方がいいんだろうけど、私ゃこのブログを読んでくれてるかもしれない、ただ一人のあなたに向けて昨日のブログを書いたんだよ。それが、ブログ村に載ってくんなかったらその人に読んでもらえないじゃない。

 

この辺にして、今日の本題です。

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2011年

1月

24日

キャパの戦争への愛憎と、キャパが好きだった私へ

今日は会社を休んでしまった。体調が悪かったのだが、一日休んでみて、行っていけないことはなかったのにと思いながら、複雑な気持ちで一日を過ごした。明日は、ちゃんと会社へ行こう。

 

ロバート・キャパ(Robert Capa、本名:アンドレ・フリードマン)について、今の私に何が書けるのか、を考えてみて、結局何も書けずに終わるのではないかという一抹の不安がある。以前の私だったらもっともっと素直にキャパの写真に魅力を感じたし、その面白さについて語ることは何でもなかったろう。けれども、自分でもいっぱい写真を撮って、沢山の優れた写真家の写真を見た後、写真の文脈で、冷静に、客観的に、素直に、キャパの写真を語ることはむつかしい。むつかしくて、どこから語り始めれば良いのかさえわからずに、途方に暮れている。

 

まず、『ちょっとピンぼけ』から話そうか。

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2011年

1月

20日

病床で眺めた尾仲浩二

今日は一日調子が悪かった。朝から気分がめいってしまい、仕事中もぼーっとしてしまった。

 

以前にも話したけれど、昨年の年末から体調を崩してしまい時々調子が悪い。このままではいけないとは思うけれども、身体はどんどん悪い方へ傾いて行ってしまう。そのどんどん傾く身体を薬でコントロールしようとしているのだが、所詮薬は薬で、傾いたからだを薬のスペーサーをかまして修正しているので、元の身体の傾きは元には戻せない。薬が効いてきて、調子が良くなってきて、薬を少しずつ抜いて行くと、それまで薬で狂わされてきた身体のバランス感覚が目覚め、また元の傾きに戻ってしまう。

 

生きている以上この傾きは直せないのかもしれない。まあ、私はたいした病状も悪くない方なので、多くの方々よりはずっとましな身体なのだけれど、薬の量はだんだん増えていき、身体の傾きをもはや自分だけでは支えきれなくなってしまっている。

 

松山千春は歌の中で

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2011年

1月

18日

ノスタルジックなランドスケープ、George Ticeの風景

私のGeorge Tice

大西みつぐさんの写真をご覧になったことがあるだろうか。

とくに『Wonderland』と名付けられたシリーズの、モノクロの東京下町の風景を。

 

本日紹介するGeorge Ticeを無理矢理分類すると、大西みつぐさんをアメリカ人(ニュージャージー人)にして、人物を省いて、8×10インチにした系統の写真とでも言えるかもしれない。どちらのファンの方にもごめんなさい。

 

いや、本当はGeorge Ticeについてきちんと語れる自信がないのです。彼の写真集は一冊しかもっていないし、オリジナルのプリントを見たことはないし。それでも彼の写真集を見ていると

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2011年

1月

17日

ラグビール・シンはインドのロバート・フランクか?

Homage to Mr. Singh

ラグビール・シン(Raghubir Singh)という優れたスナップシューターがいることを知ったのは、先日このブログで紹介したJoel Meyerowitzの著書『Bystander』に掲載されている彼のスナップを見た時だった。

 

その一枚の写真の持つグルーブ感にノックアウトされ、こんなすごいスナップを撮る写真家がインドにはいるのかと思った。実際には彼(ラグビール・シン)がインド系アメリカ人(生まれ育ちはインド)だと知ったのはそのずっと後なんだけれど。『Bystander』のその一枚の写真が、地球上で観測された、最も勢いがあり、最もワケの分からないスナップであるかもしれないという可能性は、拭いきれないということは

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2011年

1月

13日

町が織りなす群像劇 Joel Meyerowitzへ

銀座ドラマ

二日続けて同じようなことを書いてしまった。

もうそろそろ自分の生活に戻らなくてはならない。退屈で憂鬱な日常へ。

 

さて、音楽の話が続いたので、今日はまた写真の話をさせていただきます。このブログを始めてからまだ時計の話を一度もしていないですけれど、もう少し写真の話におつきあいください。

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