問題は、もう彼女が死んでしまったっていうことなんだよな。

私たちは100円の為にでも自殺しうる。問題はその理由そのものではない。いかに切羽詰まっているかなんだ。

 

例えば、100円が原因である人からの信用を失い、その信頼が回復できそうもないことに気づく。その人の信頼は自分の生活にとって要である。その人の信頼を失うことは、自分の生活を、自分の未来を、自分の築き上げてきた過去を失うという状況になった時、自殺という出口を選ぶこともある。

 

今日はそんな話。

ヤフーのニュースで電通の社員だった25歳の女の子が自殺したと読んだ。詳しくは読んでいないが、なんでも東大を出て、電通に入社したこと、自殺する前は働き通しで殆ど休んでいなかったこと、父親を幼い頃に(だったかな?)亡くしたこと、容姿が優れていたことなんかが書いてあった。

 

このニュースを受けて、電通で過重労働、長時間労働が日常的に行われているんじゃないかの調査をやっているという話を、これまたヤフーのニュースで読んだ。

 

過重労働を減らす努力をすることも、それなりの効果はあるかもしれないけれども、問題の本質はそこではない。

 

過重労働を減らす業務をやるのは人事部門とかになるかと思うが、人事部門の仕事は「それらしい数字を作る」ことに陥る、つまり実態を反映しない事実を作り上げることになるかもしれないし、過重労働、長時間労働が減ったところで自殺者が減るかというとそういうわけでもないだろう。そこで、残業時間が減った頃に、出てくるわ出てくるわ自殺者なんて数字は作ってこないだろうし。

企業の「正しい」行い、「正しい」方策が、自殺者そのものを見えなくしてしまう。

 

今回の件で、私がフォーカスしたいのは自殺者本人だ。もう死んだんだから、会社からは自由にしてやってくれ。

 

どんな会社にも自殺する奴はいる。

どんな会社にも働き通しで殆ど休んでない奴はいる。

 

これは電通に限った話ではない。

そして、この2つの事実の相関関係を考え、会社を変えるだけでは今回の女の子は救えないかもしれない。

 

私が学生時代派遣社員としてアルバイトをしていた会社には、一週間以上自宅に帰らず、青白い顔をしながら現場に指示を出す鈴木課長という方がいた。また、私のかつての職場の同僚は、元公安関係の仕事をしており、その頃は年に10回も自宅に帰れなかったと語っていた。

 

しかし、彼らは、自殺もせず、なんとかやっていっていた。

この種の人間は、私が今まで働いていたどの会社にもいた。程度の差こそあれ。彼らは踏んでも死なないゴキブリのように、ガレー船に乗せられた囚人のように、何だか汚い格好をしながら会社に生息していた。特に気の毒にも思わなかった。

 

では、電通の女の子に起こった問題の本質は何だろう。

 

私は(一つの仮説だが)、「自殺をもってして初めて脱落が許される」というように世の中(会社も含め)を認識すること、そのようにしか考えられないことが、いけないのかもしれないと思っている。

 

例えば、私のように大して仕事が忙しくなくても、生活(仕事を含めて)から脱落したくなる時がある。実際、今年の夏の初めのある夜に、

 

「このままでは全てを失ってしまう、今の生活をやめる為には死ぬしかない。自殺しよう」

 

と思い、死に場所に決めた代々木上原で千代田線を降り、自殺を思いきれず躊躇っているところを警察に助けられ、翌日から入院したりした。

 

実際にあのときに自殺をしてしまっていたら今頃家族が路頭に迷っていたであろう。しかし、あの時は家族のことなんて一つも思わなかった。ただ、死ぬのが怖いから躊躇っていたのである。死の恐怖を吹き飛ばすために、睡眠薬(なぜ睡眠薬だったかはわからない)とウイスキーをしこたま飲んだが、やっぱり死にきれなかった。私は踏ん切りをつけれない人間なのである。

 

電通の彼女も、相当切羽詰まっていたんだろう。仕事の忙しさから逃れたかったのかもしれない。もし、仕事を病欠したり、ズル休みしたら仕事を失ってしまうかもしれない、面倒を見てくれてる先輩に迷惑をかける、夢に見た未来羽が崩れ落ちてしまう。とか、今までお世話になっていた人に迷惑をかけてしまう。大学まで卒業して、電通に就職して安心している親を裏切ってしまう。とか、就職の面倒を見てくれたOB、大学の先生に迷惑をかける。と思っていたのかもしれない。あくまで想像だが。

 

そして彼女の場合、何らかの方法で今の生活を抜け出すこと(会社を休むとか、田舎に帰るとか)により失うものが、自分の死よりも重かったのだろう。

 

私は、失うものが死よりも重いのであれば、自殺すればいいと思う。もしくは、死なずにその生活に耐えるかのどちらかなのだから、死によって救われるなら、それでもいいと思う。

 

しかし、何も確証されない未来のために、恩着せがましい連中(家族とか、先生とか、先輩とか)の為に、社会における自分自身というどうでもいい存在の為に、死を天秤にかけることはない。

彼女がたった五分でも、「死」以外の脱落の方法を考えることができたら。いや、きっとそんな余裕はなかったから、「死」以外の脱落の方法を一つでも常日頃持ち歩けていたら、死なないで済んだかもしれないのに。

もしくは、自殺しか考えることができなかったなら、もう少し死ななそうな自殺の方法を選んでいたら死なずに済んでいたのに。

 

電通の彼女はその脱落の方法を知らなかったのか、思いつかなかったのか、もしくは、私のように病気だったのだろう。

 

私も含めて、人は自殺しようと思うほど切羽詰まってしまうと、自分の脱落の方法を一つづつ消していってしまう。

 

「これはダメだ、あの人に迷惑をかけてしまう。」

 

「これはダメだ、私の人生がめちゃくちゃになってしまう。」

 

「これはダメだ、娘に会えなくなってしまう」

 

そして、彼女の疲れが、彼女へのプレッシャーが、彼女から考える力を奪ったのかもしれない。特に、高学歴でいい会社に勤めてたら自分への期待や、「期待されてるだろう」と勝手に思っているものもたくさん抱えていたんだろう。だから、そういうのをうまく捨てて脱落する方法を思いつかなかったのかもな。

 

こういう問題は、政府とか企業とかに取り組みを求めても仕方ないことだと思う。(まあ、政府や企業が全くないもしないというわけにもいかないのだろうが。)

 

何故なら、企業自身が、やる気を持って会社に貢献している人、だとか、プレッシャーに耐えながら頑張っている人(今は貢献してなくても将来貢献してくれそうな人を含む)だとかが、その戦線から脱落する方法を本人たちに教えたいとは思わないだろう。企業は「働きやすい社風」とか言いながらその実うまいこと従業員にプレッシャーをかけて、そのジュースを絞り出すのだから。ジュースを絞りつくさないようにする匙加減できる会社と、絞り尽くして従業員の8割ぐらいがいなくなったところで、何の損失もないっていう会社ばかりなのだから。

 

政府だって、そういう企業のおかげで成り立ってるわけだし。

 

だから、この問題は本来なら学校教育に解決を求められないのかもしれないけれど、カリキュラムとかそういう堅っ苦しいことじゃなくて、人生を生きて来た先輩として、学校の先生は生徒に教えてあげてほしいな。うまい脱落の方法を。

 

「お前、甲子園なんていけなくたっていいんだぞ、卓球だって楽しいぞ」

 

「お前、学校なんてドロップアウトしていいんだぞ」

 

「お前、いじめが辛かったらギャングにでも入ってみるといいかもしれんぞ」

 

「お前、学校の勉強ができなくても、できる仕事なんてたくさんあるんだぞ」

 

「お前、就職なんてしないで結婚して主婦になってもいいんだぞ」

 

「お前、世の中女の子ばっかりじゃない、男の子もいるんだぞ」

 

とか、身近なところから切羽詰まった状態からの脱落のしかたを教えてあげるといい。常日頃、脱落のしかたを身に染み込ませるようにすると、もう、どんな時でも脱落できちゃう。

 

「俺、明日会社辞めて、出家しよう」

 

「俺、嫁さんにゲイだってカミングアウトしよう」

 

そんな感じで、切羽詰まったらどんどん脱落。ポジティブな脱落、明日生きるための脱落、シャボン玉のような夢見る涙。

 

しかしまあ、これ、一長一短で、切羽詰まりそうな不器用な連中がみんなそういう風に器用に生きることのできる世の中になると、みんな中島義道みたいになって、これはこれで、収集つかんくなる可能性があるはな。

 

しかしな、電通なんて何百人もいる会社で、たった一人のその子が脱落上手になったところで、体制に影響ないと思うな。

 

俺は、毎日自殺する何百人って人を救いたいわけじゃないんだ。電通の彼女一人を救えなかったことが悔しいんだ。だから、会社に3人ぐらい中島義道みたいな半グレ、半ルーザーはいてもかまわない。そんなこと、一人の若い女性の命と天秤にかける価値もない。

 

問題は、もう彼女が死んじゃったってことなんだよな。