この人にしか作れない何か 五十嵐一生の Tokyo Moon

もう15年ぐらい前のことだが、吉祥寺の Sometimeと云うジャズバーへ五十嵐一生のライブを何度も聴きに行った。その頃は確か毎月一度五十嵐一生のバンドが出演していた。

 

毎月趣向を変えて、アコースティックのカルテットだったり、シンセやエレベが入ったり、色んなスタイル、色んな編成でライブを聴かせてくれた。日野賢二のベースを初めて聴いたのもSometimeの五十嵐一生のバンドでだった。その日は五十嵐さん自身もトランペットだけでなくキーボードを傍らにおいて、トランペットをストラップで首から吊りながら鍵盤を弾いていた。

2000年、札幌の田舎から進学のために上京したばかりだった私はいつも興奮して五十嵐一生のバンドの演奏を聴いた。ピアノに石井彰だとかがいたり、竹内直がサックスを吹いたり、とにかくもう、豪華な顔ぶれだった。Jazz Lifeに掲載されていた広告や、CDのレビュー、Live Scheduleでしかお目にかかったことないミュージシャンたちが目の前で熱い演奏を繰り広げている。それだけで、興奮した。

 

上京して初めて吉祥寺 Sometimeにライブを聴きに行った時も五十嵐一生のライブだった。彫刻の入った黒の Martin  Committeeにベントさせた金メッキのジャルディネリのマウスピースをつけて、60年代のマイルスのアコースティッククインテットの頃のような音楽をやっていた。五十嵐さんのオリジナルもあり、マイルスのレパートリーではないスタンダードも含めて、たっぷり3セット。最後はカンタロープアイランドで締めていた。五十嵐さんのトランペットにはもちろんマイルスからの影響も聞けるのだが、まあ、本人が自覚的に演じているところもあるんだろう。しかし、マイルスとは違った鋭さと、例えて言うと丸ノコで切ったばかりの金属片のような荒く、シャープな感じと、バラードやミディアムテンポの曲を弾くときの暖かく伸びのある太い音が何かこのトランペッターのサウンドを特別にしていた。

 

音楽そのものも、アコースティックでやりながら、最晩年のマイルスのようなことをやったり、もっと型にはまらない演奏(フリーのような)すらやっていた。それで、これは面白いと、毎月サムタイムの五十嵐一生さんのライブは欠かさないようにして聴きに行っていた。元々自分はマイルスのクインテットのサウンド(George Colemanの頃ね)が好きだったし、五十嵐さんのバンドはそこから始まって様々な方向へ開かれていた。ミュージシャンを志す人にとってもきっといい勉強になったんじゃないか。

 

ある時は、真田広之がふらりと遊びに来て、映画「真夜中まで」のプロモーションを兼ねてバンドをバックに真田広之がRound Midnightを歌って行ったこともあった。真夜中まで、のサントラもすごくいいアルバムだった。

 

それで、今日は五十嵐一生のアルバムTokyo Moonである。

 

まず、最初っからいきなり五十嵐一生の音楽世界に引き込まれる。ダークで、力強くで太いトランペットが入ってくるイントロは、それだけで「夜の東京」、それも新宿の西口や、品川のようななんとなく人もまばらで、暗くて開かれているところに迷い込む。1曲目から使われている Fender Roseが独特の無機質な都会感を出している。

 

このアルバムは、かなりコンセプトがまとまっていて、その中でプレーヤーが自由に泳いでいるという感じだ。竹内直もいろいろ奇怪な音符をちりばめるシーンもあるが、アルバムの世界観から飛び出したりはしない。リズムセクションも派手に攻めることなく、このアルバムの、都会的に洗練されていて、クールで、少し無機質な世界を構築している。

 

オリジナル曲の間にポツリポツリと有名なポップスの名曲が入ってきたりするのもいい。全然違和感がない。バンドの作り上げるサウンドそのものがこのアルバムでは一貫しているし、盛り上がり方も、所謂ハードバップのそれよりもモダンだし、ロックとも違うし、まあ、こういう盛り上がり方する音楽はあるんだけれども、今すぐにそれは思い出せない。

 

聴かせどころ、聴きどころが多いアルバムである。

あー、このアルバムの3曲目聴こう、とかそういうアルバムというよりは、初めから最後まで聴きとおせてしまうアルバムだ。

 

それで、ふと、全体通して聴いてみると、ハードバップのアルバムとしても成り立っているようなきがする。

 

五十嵐一生のライブが聴きたくなってきたな。

近々、東京近辺でやってないかな。