冷たくて、美しく

冬は寒い。そんな当たり前のことをふと感じながら、銀座の街を歩く。

 

クリスマス色にてらされた道路に、夕方の雨がまだ少し残っていて、いや、雨なんて降ってなかったかもしれない。とにかく、道路はイルミネーションを写し込み、大きなクリスマスツリーの周りに人垣が出来て、なんとなく年の瀬を感じさせられる。

 

こういう風に予定調和のリフレインが毎年あり、気づけば私の31歳も残りわずか。それで、ふと身の回りを見渡してみる。身の回りのものへの興味があまり無くなったせいか、何も見えない。

 

二十歳の頃なんかは、自意識過剰だったし、コンプレックスもあったので、周りの人が気になった。友人、大人、先生、他人、みんな気になった。でも、社会に出て、自分自身もつまらないサラリーマンの一人になって、そんな興味もどこかにとんでしまった。

 

前置きが長くなった。今夜は美しさについて。

YouTubeで村治佳織さんの奏でるCalling Youを聴いて、その美しい音色、くっきりしていて、存在感がありながらも、コッテリしていない音楽を聴いて、世の中には本当に美しいものがあるんだなと、感心してしまった。

 

村治佳織さんの音楽が美しいのは今日に始まったことではないし、YouTubeで見た映像も、彼女(こういう馴れ馴れしい呼び方をするのはおこがましいけれど)が二十歳くらいの時の映像だったけれど、それが、確かに在ったのだ、ということ、そして映像として残っているんだということを考え、一人感慨に耽っていた。それがYouTubeの画質も音質も悪い映像だった為だろうか、

 

「ああ、こんなに美しいものを今のうちに堪能しておかなくては、いつか消えてしまう前に」

 

と、強く感じた。村治佳織さんのCDは何枚か手元にはあるけれど、彼女(こういう馴れ馴れしい呼び方はおこがましいのだけれど)の演奏を生で聴いたことは無い。今ならまだ間に合うかもしれない、この美しい音楽を生で聴いてみたい。

 

街の喧噪も、仕事の悩みも、恋愛の煩わしさも、場合によっては自分自身の感情や身体すらも全て投げ捨てて、何も無い状態でその音楽に触れてみたい。美しい音楽に触れるには私の手は汚れすぎている、私の耳はノイズを拾いすぎている。そういうものが何も無い状態になるまで消毒して、滅菌して、煮沸消毒して、それで、先入観とか知識とか、つまらない批評なんかを全てなくした状態で、触れてみたい。村治佳織さんの音楽はそういう音楽だと思った。

 

それで、まあ、とりあえず、YouTubeを見るのはやめて、ブログを更新することにした。ブログの更新にあたっては、細心の注意を払い、その場に最も適した音楽を聴きながら書きたいと思い、CDをあさった。

 

Martin TaylerのCDが出てきたので、それをかけることにした。マーティンテイラーは柔らかくて、暖かさを含んだ優しい音楽だ。彼の繊細な音使いは、その音楽がジャズであるとか、そういったことがどうでも良いくらい受け止めやすい。テクニカルな演奏であることはそうなのだけれど、その音楽に難解さは無い。頭のいい人の話を聞くと、どんな難しい内容の話でも素直に頭に入ってくるように、マーティンテイラーの音楽もとても受け止めやすい。

 

マーティンテイラーの洗練は、村治佳織さんの洗練となにが違うのか、それを説明するのは難しいけれど、それはハーレーとトライアンフの違いを論じるように、表現しづらく、それ自体が無意味だ。ただ、この世の中に、ギターというものを用いて、美しい音楽を奏でられる人がいて、その音楽というのが、おそらく確かにこの世の中に存在しているであろうということに歓びを感じるとともに、その存在の不確かさ

、はかなさを感じてちょっと不安になった。

 

マーチンテーラーも村治佳織さんも出来るだけ早く生の演奏を聴いてみたい。そう感じながら、年を重ねる度、自分の感受性が確実に衰えてきていて、身の回りのものに無関心になりつつあることを、何よりも哀しく思った。

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コメント: 1
  • #1

    ed治療薬 (木曜日, 07 5月 2015 20:36)

    「もうちょっと。もうちょっとだけでいいから。このまま居させて」