サメを殺してはいけない。冬の終わりのハーモニーと夫婦善哉

昨日はブログをさぼってしまった。

 

さぼってしまったのは、夫婦喧嘩をしていたせいで、ブログなんて悠長に書いている場合じゃなかった。喧嘩の原因は、私の日々の行いの悪さなのだから、まあはっきり言って負け戦ではあったのだが、頑固者の私たち夫婦は互いに一歩も引かず、限界まで戦い抜いた。限界まで戦い抜いたから、戦い終わった今となっては、お互いを讃えあっているような状態だ。

 

しかし、今回の夫婦喧嘩はかなり危ない線までいった。戦の最前線では、「男女の別れ」の局面まで達していた。「出て行く、出て行かない」の話まで囁かれ、私は家を失う寸前までいった。

喧嘩の仲裁に、私の友人まで駆けつけてくれた。まったく、良い友人を持ったものだ。彼とはもう20年近くの付き合いになるのだが、出会った頃にはまさか私の夫婦喧嘩の仲裁までお願いすることになるとは思ってもいなかった。

 

彼には、常日頃いろんな悩みを聞いてもらったり、苦難を共にしたり、宴をひらいたりしていて、お世話になっている。今回もすっかり世話になってしまった。こういうところで、こういうことを書いて良いものなのか悪いものなのかは解らないが、彼はバツイチで、結婚生活の酸いも甘いも味わってきているので、夫婦喧嘩の仲裁には長けているのかもしれない。それとも、最も向いていない人選だったのかもしれない。その辺のことは、頭に血が上っていた私には解らないのだが、まあとにかく夫婦喧嘩は終わった。

 

これからは、夫婦円満となるように、もう少し嫁さんを大切にしようと思う。人間関係はお互いに思いやる気持ちが重要だということに、最近になってやっと少しずつわかり始めてきた。解り始めた矢先に、夫婦喧嘩をしてしまった。情けない。人間というのは、学んだことをなかなか活かせれないもんだ。戦争は繰り返されるし、大学やバイクの教習で何度もダブってしまう。それが人間の悲しいところだ。悲しくも、愛おしいところだ。

 

嵐が過ぎ去った後、ふと井上陽水を聴きたくなった。『夏の終わりのハーモニー』のように、長い月日を共にしたもの同士にしか解らない愛の形があると思う。妻と付き合ってきた約10年間を振り返る。振り返っても仕方ない、明日の二人の為に生きていくしかない、そうとは解っているんだけれども、人はつい過去に生きようとしてしまう。特に付き合いが長くなる程に過去に生きてしまう、そんなセンチメンタルは無用だ。終わった関係なら、過去に生きても良いと思う。終わった関係の想い出に浸る、そんなセンチメンタルは許されていいと思う。けれども、夫婦の関係は、現在及び未来へ続いて行く関係だ。過去に生きてはいけない。

 

ウッディー・アレンが『アニー・ホール』の中で、

「恋愛はサメに似ている。常に前に進んでいないと死んでしまう。」

と言っていた。このことは夫婦の関係にもあてはまる。サメを殺してはいけない。

 

これからは織田作之助の『夫婦善哉』でも読んで、夫婦円満に努めようかと思っている。

 

 

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コメント: 1
  • #1

    早漏 (火曜日, 05 5月 2015 10:42)

    「そう。お前は、ココで俺と繋がるんだよ」