メカニカルカメラ&B級ギターシンドローム。物欲の底なし沼との付き合い方

ブログを読んで頂いている方に、少しでもお役に立てる話を書きたいとは常日頃思っているのですが、なかなか毎日そのような話題を探すのは大変だということもあり、結果として皆様のお役に立てないでいて申し訳なく思っております。

 

どんな気まぐれでも構いませんが、このブログを読みに来てくれた方の生活に、少しでも彩りを添えたいとは思っているのですが、なかなか思うようにはいきませんね。今まで、写真の話、音楽の話とかをとりとめも無く書いて来ましたが、皆さんのお時間を頂いて申し訳ないと思うような記事を書いてしまうこともちょくちょくあります。そんな時は、「ああ不調なんだな」と思って、笑って許してください。そのうち、皆さんが「読んで良かった」と思って頂けるようなものを書けるように日々努力しております。

 

そんな話をした後で、今日の話題なのですが。物欲という悪魔とどう付き合っていくべきなのか、ということについて、考えたいと思います。物欲との付き合い方に困っておられる方、いらっしゃいましたら、少しお時間を拝借して私と一緒に考えてみましょう。

今までのブログの記事でも、何度か書きましたが、私はギターを集めるのが好きで、今まで購入したり、人からもらったりしたギターは20台以上あると思います。いや、もっとあるかな。それで、私の手元には今でも10台強ギターがあるのですが、欲しいギターの数は減ることがなく、増える一方です。

 

今は、6畳1DKに住んでいるので、もうこれ以上ギターを置く場所が無いので、欲しい心をなんとか抑えることができておりますが、もし、もう少し広い部屋に引っ越せたら、確実にもう数台ギターが増えるでしょう。以前住んでいた部屋は、今の部屋よりも少し広かったこともあって、ギターを欲しい自分の心との付き合い方に非常に苦労しました。

 

その当時私はギター屋さんで働いていたこともあって、毎日朝から晩までギターの市場調査をしておりました。その頃の私の所得は月収15万円ぐらいでしたから、家賃を払って、嫁さんと二人で暮らしていると毎月常に赤字で、嫁さんのパートの収入を足してもまだ赤字でした。にもかかわらず、ギターが欲しいという心に勝てず、何台かギターを買ってしまいました。四六時中世界中で取引されているギターをインターネットで見ていたので、欲しいギターが相場より安く売られているといてもたってもいられませんでした。一度など、職場から妻に電話をかけ、妻にギターを買いにいかせたこともありました(我ながら、妻に苦労をかけてるな)。「金がなくても、ギターが欲しいという欲求は弱まらない」ということをそのとき身をもって知りました。

 

何故ギターがこれほどまでに欲しいのか、考えてみても、答えは出ませんでした。特に、私の収集しているギターは、高級なギターではなく、質素で、装飾が少なく、自分の好みの音が出る、一癖あるギターですから、ギターに投資的な価値を見出しているわけではありません。ただ、それらのギターを、自分の手元に置いて、愛でたい。ただそれだけです。そのため、私は今でも毎週末のように楽器屋を巡って歩いてます。

 

同じように、私はカメラの収集癖もあります。

 

これは、ギター収集癖よりもさらに病巣が深く、私が学生の頃からのおつきあいです。今は、かなり手放してしまいましたが、学生の頃は親からの仕送りの8割方カメラ及び写真器材の購入につぎ込んでいました。親からの仕送りでは足りなくなって、アルバイトをしたりしてその穴を補填しておりました。カメラの場合、それは「写真を撮る道具である」ということが、この病巣をより深くしているのだと思います。「このカメラを使ったらこういう写真が撮れるのではないか」という一心でカメラを果てしなく収集してしまうのです。

 

例えば、

「50ミリをつけたライカ一台だけを手にして旅に出よう」とか、

「都市の風景をシノゴに広角をつけて精緻に撮ろう」とか、そういった甘い誘いです。そのカメラを買うことによってそういう夢のような写真生活が手に入るという妄想にやられてしまうのです。カメラの場合、道具ですから、カメラによって撮れる写真が変ってくるというのは、確かに事実です。夢のような写真生活が手に入るかどうかはわかりませんが、それらのカメラを持っていないと撮れない写真があることは事実です。そのことが、「カメラが欲しい」という欲求と戦うことを難しくしています。

 

では、それらの物欲と戦う為にどうすれば良いか。ギターが欲しい、カメラが欲しい、という気持ちに対処する為にどうすれば良いか、という問題になりますが、いくつかの対処法があると思います。

 

一つ目は、それらのギターやカメラを買って、その上、それらを保管できるくらいの家に住めるぐらいの金を稼げるようになること、です。欲しいと思うものを何不自由無く買えるようになれば、問題解決です。多くの人がこの方法で問題を解決しています。私もできればこの路線で行けるよう今から人生設計をしようと頑張っております。

 

けれども、今現在はそんな金がない。それではそんな時はどうするべきか。ここが非常に難しいところでもあります。物欲は果てしないが金には限りがある。

 

私が、今実践しようとしているのはこんな方法です。

 

何かが「欲しい」と思う時、人は盲目になります。もう、そのもの以外目に入らない。「これを手に入れることこそが人生だ!!」と思ってしまいます。恋愛と一緒ですね。恋愛と一緒の段階にまでなってしまったら、もう対処法はありません。だからその手前で対処します。

 

対処の仕方としては、何かが欲しくなってきたら、病巣が深くなる前に別の欲しいものを探すことです。ギターを欲しくなっている時は、意識して他のものに目を向ける。例えば、バイクが欲しいとか、カメラが欲しいとか、CDが欲しいとか、その時点で欲しい度合いが本命のものよりも低く、且つ自分の興味を惹くものについて考えることです。

 

それでも、欲しい心に勝てなそうな場合には、その欲しいものの周辺のもので欲しいものを見つけて、それを購入することでカンフル剤を打つのも一つの手でしょう。例えば、ギターが欲しくなったら、ギター屋に行って弦やストラップ、シールド等を購入するとか、カメラが欲しくなったら印画紙やフィルムを買う。

 

何か欲しいもの以外のもので、自分が夢中になれるものを意図的に探すことです。

 

私が、毎日ブログを書いているのも、「ギターが欲しい」とか「カメラが欲しい」とか「バイクが欲しい」という心と戦う為です。

 

このようにして、毎日戦っていても、もしかすると明日くじけてしまうかもしれない。今週末買ってしまうかもしれない。日々、そのような病魔と闘っております。

 

このブログを読んでくださっている方々の中で、物欲との戦い方をご存知の方がいらっしゃったら、教えてくださいね。

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コメント: 1
  • #1

    and_tkt (木曜日, 10 2月 2011 01:15)

    僕は去年の今頃、働けど働けど金はなし、という無情の極地に辟易して、サッカー振興くじで6億円を当てる、という妄想に取り憑かれました。
    毎日の日常を妄想とともに暮らしているうちに、いつしか妄想は現実的な目論みかのようにすり替わってしまって、今度は6億円をどう使うか、をリアルに計画するようになったのです。
    結果、僕の場合、6億円は一年保たないことがはっきりし、そうなると毎年6億円を当てなくてはいけない、という強迫観念に陥ったのでした。
    さてはて、人の強欲なるものの果てのなさには驚かされます。
    しかしながら、生きるということは欲することだとも思います。
    欲がなくては生きて行けないのです。
    平凡な人間ですら、抱えきれない欲と格闘しなくてはならないのですから、生きるというのは妙なものです。